アンテナの歴史カフェ

第5回 無線通信実用化への道のり(1)

前回まで、日本発の八木宇田アンテナを紹介してきた。ところで、世界に目を向けたとき、アンテナはどのように生み出されてきたのだろうか。

アンテナが世に出るきっかけを作った人物として、次の三名が挙げられるだろう。

電磁波の存在を予言したマクスウェル
電磁波理論を実証したヘルツ
商業的成功をおさめたマルコーニ

今回より「無線通信実用化への道のり」と題して、この三名について話を進めていきたい。


まず、マクスウェルについて記していくことにする。

ジェームズ・クラーク・マクスウェル(James Clerk Maxwell、1831年6月13日-1879年11月5日)は、イギリスの理論物理学者である。マクスウェルは、ファラデーの電磁場理論をもとに、1864年、電界、磁界、電荷の関係を統一して示すマクスウェルの電磁界方程式を導いて古典電磁気学を確立した。

マクスウェルは、1831年6月13日、イギリスのエジンバラに生まれた。インディア街14番地に現存する生家の壁面には”JAMES CLERK MAXWELL Natural Philosopher Born here 13 June 1831”というマクスウェルの生誕記念板がはめられている。マクスウェルの父は、裕福な地主かつ弁護士であったが機械工作なども好み、エジンバラ王立協会に出席することを楽しみにしていたという。

マクスウェルは、10歳(1841年)のとき、エジンバラ・アカデミーに通うことになった。15歳(1845年)のとき、エジンバラ王立学会に「卵形の特性と多焦点曲線について(On the Description of Oval Curves and those having a plurality of Foci)」を提出した。あまりにも年齢が若すぎたため代読で紹介されたとの逸話が残っている。

その後、16歳(1846年)のときにエジンバラ大学、19歳(1850年)のときにケンブリッジ大学に入学した。この頃、ファラデーが記した「電気の実験研究(Experimental Researches in Electricity)」を読み、ファラデーの業績に深い尊敬の念を抱くに至った。そして、マクスウェルの電磁気学に関する最初の論文である「ファラデーの力線について(On Faraday’s Line of Force)」が1855年と1856年に発表された。

後年、「電磁気学研究(A Treatise on Electricity and Magnetism)」の序文に、

ファラデーは現象を書き表すのに数学の記号は用いなかったが、その思考は正しく数学的であった。例えば彼の心の目には、すべての空間を横切っている力線が見えていた

と、ファラデーの学問の方法、考え方を述べている。そして、私はファラデーの考え方を数学的に翻訳しただけと謙遜して述べている。

マクスウェルは、25歳(1856年)にアバディーン大学教授となり、1860年にケンブリッジ大学キングスカレッジの教授となった。

1864年、マクスウェルは、電界と磁界とが時間的に変化する場合に両者を関連させ包含する独創的な理論に到達し「電磁場の力学的理論(A Dynamical Theory of the Electromagnetic Field)」を王立学会で発表した。しかし、その理論は多くの学者には受け入れられなかった。その連立方程式は数多く複雑であり、実証もなしに新たに導入した変位電流の存在に懐疑的でもあった。つまり、誘電体の中に生ずる変位電流は物理的には電荷の変位として理解されようが、何も存在しない真空中の変位現象とは一体なにが変位するというのか。さらに、この変位電流というものが導線を流れる電流と全く同じに磁界を発生させるとは、どのような実験結果に基づいて導かれたのか、その実験的確証はあるのか。これらが当時の学者におけるマクスウェルの理論に対しての大きな疑念であり、理論が受け入れられない要因となっていた。

つづく

参考資料:
里文出版『アンテナ物語 その歴史と学者たち』

〒337-0011 埼玉県さいたま市見沼区宮ヶ谷塔4丁目72番地
TEL 048-685-1300 FAX 048-685-2301

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